父性と家族

登校拒否が問題になりだした時期は、60 年代後半から70 年代後半の高度経済成長期にあたります。父親が家庭を犠牲にして、会社に忠誠を誓い、企業戦士として日本企業復興の担い手となったころと一致しています。

急速に高い経済成長を成し遂げ、生活水準が上昇するに伴い、教育熱が高まり始めた時期でもあります。人々の当面の欲望は満たされ、確かに物質的には恵まれたが、精神的な豊かさからは、程遠く、住みにくい環境をつくり出したのです。

急激な高度経済成長は、人間関係まで合理化しプロセスよりも結果を優先しました。折りしも少子化・核家族化は能力主義に拍車をかけ、早期教育、偏差値偏重教育を生み出し、さらに、IT 革命はテレビやテレビゲームのバーチャル世界を誕生させ、ひとりで遊ぶこどもを作っていったのです。

しかも、登校拒否世代の先端はすでに、30 歳代も後半になり、社会の中間層になっています。父親が家庭よりも会社を重要視、仕事に埋没している間に大きな変化が起こり、父親不在の家庭では夫とコミニュケーションのとれない母親が、その空白を埋めるべく溺愛による母子密着化が進んでしまいました。

その結果、理性や社会性を持たないこどもが多く育ってしまったのです。父性と母性がバランスを失ったことで、自己抑制が利かずに社会関係・人間関係が築けない青少年が増え続けています。

近年の感情と行動とが短絡した粗暴きわまりない凶悪な事件や増え続けている児童虐待も、父性喪失を無視して語ることはできないと思われます。

家庭内別居、離婚、単身赴任など父親不在の家族は、今後ともますます増えることが、考えられるます。

しかし、そうした家庭のこどもがすべて、問題を抱えるわけではありません。指摘すべき点は、一緒に暮らしている父親の頼りない存在にあります。父親が単身赴任で あっても、家族の努力で父親像がこどもの心の中に存在していれば、問題はおきないではないでしょうか。つまり、重要な点は、夫にとって妻がどういう存在であるのか、 また、妻にとって夫がどういう存在であるかということが問題の核心であって、夫婦の精神的結びつきの強さが問われているのではないでしょうか。